音大に行かないならピアノやめなさい|それでも私が音楽を続けた理由
目次
音大に行かないならピアノやめなさい|私にとっての音楽とは?
「音大に行かないんだったら、勉強の邪魔になるからピアノはやめなさい」
高校生の時、担任の先生から言われた言葉です。
「レッスンを休む」とか「練習時間を減らす」ではなく、
“ピアノをやめる”という選択。
つまり、専門の道へ進まないのなら、ピアノは無意味だという考えです。
レッスンにはお金もかかるし、今でいう「タイパ・コスパ」の考え方なのかもしれません。
でも音楽って、そんな風に切り捨てて良いものなのだろうか?
古代から人間って、音楽と共に生きてきたのでは?
私にとって音楽は?
「音大に行かないんだったら、ピアノやめなさい」その一言によって、
私は考え始めました。
「ピアノを習っている」と「ピアノをやっている」は違う
いつからか、
「ピアノをやっている=ピアノ教室に通っている」
そんなイメージが当たり前になっている気がします。
でも、スポーツやギターなど他の趣味では
「習っている=やっている」ではありませんよね。
ピアノだけが、なぜか特別扱いされている。
私に「音楽が好き!」という気持ちをくれたのは、
幼少期のオルガン教室での体験です。
そこで学んだのは、オルガンを弾く、ピアノを弾く技術ではなく、
誰かと音を重ねるアンサンブルの楽しさや、リズムの心地よさでした。
音楽を「習い事」でなく、自分自身の喜びとして取り戻せたら!
私はそんな風に思っています。
たとえレッスンに通っていなくても、
日々の生活の中で鍵盤に触れ、
その音を楽しんでいるなら、
胸を張って「ピアノをやっている」と言っていいはずなのです。
受験勉強中こそ、ピアノが支えになることもある
子どもの頃の私は、決して練習熱心ではありませんでした。
でも不思議なことに、試験週間になると
ピアノが弾きたくなるんです。
先生は「勉強の邪魔」と言ったけれど、
私にとってピアノは、心を整える時間でした。
その後も、つらいことがあった時、
ピアノはいつもそばにいてくれました。
プロの努力と、自分の音楽は比べなくていい
音大を目指す友人が言った言葉。
「1日8時間は練習するよ」
驚いた私に、彼女はこう続けました。
「受験勉強を8時間するでしょ?
ピアノで大学に行くなら当たり前じゃん」
たしかに、その通りです。
でも同時に、私は思いました。
「私にはその覚悟はない」と。
だからといって、
音楽を愛する気持ちまで否定される必要はないはずです。
8時間練習できなくても、
音楽を好きでいる資格は、誰にでもあります。
練習できない=やめる、ではない
「練習できないなら、やめた方がいい」
そんな考えを持つ方も多いと思います。
でも、本当にそうでしょうか。
以前、アルバイト代でレッスンに通っていた高校生がいました。
勉強、部活、バイト。
十分な練習時間はとれない中でも、教室に来てくれる。
その姿に、私は本当に身が引き締まる思いでした。
その子は、完璧に弾くために来ていたわけではありません。
音楽の時間が大切だったからに他ならないのです。
だから私は思うのです。
忙しい時は、レッスンを休んでもいい。
練習ができなくても、教室に来てもいい。
そして、レッスンをやめる選択をしてもいい。
それは「ピアノをやめる」ことではないのだから。
一番悲しいのは「音楽が嫌いになってしまうこと」
一番悲しいのは、
ピアノが原因で、音楽が苦しくなること。
音楽を嫌いになってしまうことです。
「頭が良くなるから」
「教養として必要だから」
そんな理由だけで続けてしまい、
音楽の楽しさを失ってしまうとしたら…
それは本当にもったいないことです。
ピアノが弾けなくても、生きていくことはできます。
でも、音楽を好きでいることは、
人生を豊かにしてくれるものだと思うのです。
この内容は、こちらでもまとめています👇
▶︎ なぜ「弾けるはずなのに弾けない」のか(まとめページ)
私にとってピアノとは
「音大に行かないなら、やめなさい」
あの言葉は、当時の私にはつらいものでした。
でも今は思います。
あの言葉があったからこそ、
自分にとって音楽がどれだけ大切かに気づけたのだと。
それは、プロになるためでも、
誰かに認められるためでもなく、
ただ「好きだから」。
私が私でいるために、ピアノがあります。
練習ができなくても、
レッスンを休んでも、
音楽は、いつもそばにある。
だから私は今日も、
「ピアノが好き」
「音楽が好き」
そう言える自分でいたいと思うのです。


